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「アホです」と言った高須克弥院長と、「能力を表すとは思えません」と言った九州大学・岡﨑晴輝教授 ― 18歳のあの一点に、何が乗っていたか

コラム

あの一瞬

「学校どこ?」

聞かれて、答える。たいてい、何か返ってきます。

「すごいね」「へえ、あの辺だよね」「あー、なるほど」。目の前の相手に、悪気はないかもしれません。

なのに、帰り道でもう一回再生している。布団に入ってから、また再生している。

褒められたはずなのに、なぜか座りが悪い。流されたなら、流されたで気になる。

言葉そのものより、その前に起きたことのほうが残ります。答えた瞬間、値段をつけられた。頼んでもいないのに、値札を貼られた。

一度なら、笑って流せる

その場では流せます。一度なら。

でも、この物差しは、目の前の相手が持ち出したものではありません。もっと前から、あちこちに置いてありました。模試の判定。教室に貼り出された表。「この成績なら、ここは厳しい」という面談。あの3年間、上が良くて下が悪いという前提は、空気ではなく仕組みとして、そこにありました。

同じことを何度も浴びているうちに、外から来ていたはずの声が、いつのまにか自分の声になる。誰にも何も言われていない朝に、鏡の前で自分に言っている。ここまで来て、あの一瞬はようやく本気で効いてきます。

で、18歳のあの一点に、何が乗っていたのか

18歳の春に、一度だけ測られたもの。それが、いまも値札の数字になっています。

九州大学法学部の岡﨑晴輝教授が、2026年8月15日配信のAERA DIGITALのインタビューでこんなことを話しています。

きっかけは、大学の入試偏差値をもとに学生をいじるYouTube番組「wakatte.tv」について、教授がXで嫌悪感を表明したことでした。SNSで論争になり、教授のもとには学生や受験生、その親から200通ほどのメッセージが届いたといいます。

慶應に合格したのに「国立じゃないのか」と言われた。上智に入ったのに入試方法でバカにされた。浪人している子どもが偏差値に固執して精神的におかしくなってしまった。大学にコンプレックスがあって、でも自分が悪いんだと思い、声を挙げられなかった——。

教授は、こう述べています。入学偏差値や大学の難易度をエンタメとして消費すること自体が問題で、当事者を本当に悩ませ、苦しめている。「自分は頑張って第一志望に合格した」と誇りに思うことはいいけれど、他者を見下すことはまったく違う、と。

そして、学歴について。

学歴は自己責任と考える人も多いけれど、そうではないでしょう、と。本人の持って生まれた素質、家庭環境や学校環境、思春期がいつ訪れたかによって、18歳時点の学力は大きく違うはずだ。それを「本人の努力」という言葉で乱暴にまとめ、自己責任として切り捨てるのは間違っている——。

「自分は努力をした」と思っている人は、自分がいかに恵まれた環境で育ってきたのか、一度考えてみてほしい、とも。

7年前、同じことが話題になりました。2019年の東京大学の入学式で、上野千鶴子名誉教授が新入生に語った祝辞です。がんばったら報われると思えること自体が、恵まれた環境のおかげなのだ、と。

あのときは、ずいぶん広まりました。それから7年経って、また別の人が、同じ話をしています。

18歳の春のあの一点は、あの日の実力だけでできてはいません。そこまでの18年が、まるごと乗っています。

家に本があったか。夕食のときに会話があったか。通える距離に塾があったか。体と心が大人になりはじめる時期が、受験期と重なっていたかどうか。

どれも、18歳の自分が選んだものではありません。

このあたりは、実際に調べた研究もあります。2013年、イギリスで16歳の双子1万1千人あまりを対象にした調査で、生まれ持った違いと、育った家庭や通った学校という環境が、成績の差にどれくらい関わっているかを見たものです。

数字そのものより、言えることのほうが大事だと思います。18歳の時点で、全員が同じ場所に立ってはいませんでした。同じ時間だけ机に向かっても、同じ結果にはならない。人としての優劣ではなく、条件の違いです。

気になる方は、末尾の出典に論文を挙げていますので、確認してみてください。

入口の記録と、その先

まったく別のところで、こんなことを書いている人がいます。高須クリニック・高須克弥院長。2026年9月5日、自身のXでの投稿です。

医学部というのは、医師国家試験の受験資格を手に入れるための予備校のようなもので、いわば自動車運転免許を取るための自動車学校にすぎない。そのうえで、「卒業した自動車学校の優劣でマウント取るドライバーはアホです」。

ちなみに自分は、受験勉強などせず、一番簡単に入れる医大に入り、一番早く免許をとって、一番早く現場に出た、とも書いています。医者の本当のマウント取りは免許を取ってからスタートです、と。

同じことを、大学の側から見ている人もいます。岡﨑教授です。

同じくらいの偏差値で入ってきた学生でも、中身は千差万別だといいます。100点に近い答案を書く学生もいれば、ゼロ点にしたい答案もある。意欲も、人と話す力も、発想の飛び方も、まったく違う。だから——「入学偏差値が本人の能力を表すとは思えません」。

入口の記録は、残ります。そこから先に何をしたかは、その記録には書かれていません。

ここで、道が二つ

「条件が違ったんだから、仕方ない」

そう受け取ることもできます。居心地のいい毛布です。かぶればその夜は暖かい。ただ、朝になっても何も変わっていない。

もうひとつの受け取り方があります。

条件の話は、降りるための理由ではなく、自分を責めすぎるのをやめるための話です。あの一点を「自分の値打ち」だと思って背負ってきたなら、それはもともと持たなくていい荷物でした。

条件は、スタート地点を決めます。行き先までは決めません。

今日、選べるもの

18歳までは、選べないことのほうが多いはずです。時間割も、教室も、隣に座る人も。

ただ、そのすべてが決まっているわけではありません。何を読むか。誰と話すか。どこに時間を置くか。どんな場所に自分を置いておくか。そして、どの声を自分の中に住まわせておくか。

どれも、大きなことではありません。ただ、決めているのは自分です。

あの一瞬を、もう一度思い出してみてください。

あのとき貼られたのは、18歳の春の、一点でした。それ以上でも、それ以下でもありません。今日から先のあなたは、まだ誰にも値段をつけられていない——。

さて、今日の時間を、どこに置きましょうか。

みらいを紡ぐ、物語。
Jibunmiraistudio


この記事に関連する本

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル・サンデル/鬼澤忍 訳/早川書房(ハヤカワ文庫NF)

ハーバード大学の学生の3分の2は、所得の上位5分の1の家庭から来ている。それでも彼らは、自分が入れたのは努力のおかげだと言う——本はここから始まります。

頑張った人が報われる。そのどこがいけないのか。この本は、その問いを1冊かけて掘り下げます。努力を否定するのではなく、努力の手柄がどこまで自分のものかを問う本です。

※ Amazonのアソシエイトとして、じぶんみらいスタジオは適格販売により収入を得ています。


出典


▶ このシリーズの1本目:その大学に行って、何をするんだろう ― 偏差値が高いほうが良い、と決めたのは誰?

▶ このシリーズの3本目:「ノーベル賞級」と評価された九州大学・安達千波矢教授と、「福島大には触らせたくない」と言われた福島大学 ― 偏差値は、何を測っていたのか

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