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その大学に行って、何をするんだろう ― 偏差値が高いほど良い、と決めたのは誰?

コラム

模試の判定表を折りたたんで、鞄の底に入れる。

「大学どちらでした」と訊かれて、答えを少し探す。

子どもの進路の話をしていて、自分のことを言われた気がする。

言葉にされたわけではありません。それでも、こちらには伝わってしまう。伝わったことのほうを、あとで何度も思い返す。

もし、そういう一瞬に心当たりがあるとしたら——。

勉強のやり方には、たしかに良し悪しがあります

たとえば、参考書や問題集を一冊決めて、それを最後まで完璧にする。何冊も手を出して、どれも半分で止まっているより、ずっと身につきます。

そして、その一冊を何にするか。今の自分の位置から始められるものを選べているか。一冊目と二冊目の間が離れすぎていないか。どの順番で積んでいくか。

人から教わる時間より、自分で手を動かす時間を長く取る。進んだところを毎週たしかめる。

こうした進め方には、理にかなったところがあります。順番を間違えなければ、同じ時間でも進み方が変わる。学び方に工夫があること自体は、良いことだと思います。

それと、人を値踏みすることは、まったく別の話です

ここが、混ざりやすいところです。

学び方の話をしている人が、そのまま人の値打ちの話をはじめる。順番に並べ、上と下をつくり、下に置かれた側を笑う。同じ口から出てくるので、同じ種類の話に聞こえてしまう。

けれど、この二つはつながっていません。

前者は、自分の手で試せる技術です。合うなら取り入れて、合わないなら別のやり方を探せばいい。

後者は、受け取ることを選べる言葉です。選べる、ということは、受け取らないでいることもできる、ということです。

驚くのは、それを大きな声で言うことのほう

学校名で人を並べる見方は、今に始まったものではありません。むしろ昔のほうが、ずっと露骨でした。就職も、縁談も、それで線が引かれていた時代があります。

だから、この見方自体は新しくない。

新しいのは、それを声に出して、笑いながら言うことが、娯楽として流通していることのほうです。かつては、口には出さないものだと分かっていた。分かったうえで、黙っていた。

その分別が外れると、聞かされる側は逃げ場を失います。

そして、もうひとつ。

皮肉なことに、貼られているシールそのものの効き目は、以前より弱くなってきています。

大学へ進む人が増え、卒業したというだけでは、かつてほどの意味を持たなくなりました。入り口ではなく、そこで何をしたのかを見ようとする動きも出てきています。

効き目が消えたわけではありません。線を引く場面は、まだ残っています。それでも、以前ほど強くはない。

声が大きくなっているのは、効き目が薄れてきたからかもしれない——そんな見方もできます。

そして、もっと手前に置き去りにされているものがあります

ただ、この話をしているあいだ、ずっと引っかかっていることがあります。

上か下かを言い合っている人たちも、それに傷ついている人たちも、同じひとつの前提の上に立っている。単に偏差値が高いほど良い、という前提です。

片方はそれを振りかざし、もう片方はそれに傷ついている。向きは逆ですが、前提は同じです。

そして、その前提を、こちらもいつのまにか持っています。

では、その前提は、どこから来たのでしょう。

偏差値ランキングは、速さを示します。行き先は示しません

大学は、本来、何かを学びに行く場所のはずです。

ひとつには、学問を学びに行く場所です。この分野を深く知りたい。この研究をしている人のところで学びたい。医師になりたいから医学部へ。そう考えれば、行き先は自然に絞られます。

けれど、それだけではありません。

幅広く学びながら、世の中がどう成り立っているのかを知る。人と出会い、考え方に触れ、そのなかで自分が何に反応するのかを見ていく。自分はどうありたいのか。それを見出していく時間でもあります。

だとすれば、何を学ぶかが決まっていないことは、行き遅れているという話ではありません。むしろ、そのために行くのだ、とも言えます。

そして、同じ学問でも、その分野に厚みのある大学は、偏差値ランキングの並びとは別のところにあったりします。そして、その厚みがどこにあるのかは、偏差値ランキングを見ても書かれていません。

けれど、実際に多くの時間を使って考えているのは、どこまで速く走れるか、のほうです。

偏差値ランキングが示すのは、速さです。数字になり、比べられ、順番がつく。だから、そちらばかりを見てしまう。

そして、順番の話をしているかぎり、行き先の話は出てきません。

あの三年間、何を考えていたでしょう

どうすれば偏差値が上がるか。どこなら届くか。この判定で大丈夫か。

そういうことは、繰り返し考えたはずです。人にも訊いたし、調べもした。

では——何のためにそこへ行くのかは、どれくらいの時間、考えたでしょうか。

考えなかったわけではないと思います。ただ、考える時間が用意されていなかった。そして、考えないままでも、手続きは進んでいく。

速く走ることは、ずっと考えてきた。どこへ向かうのかは、いつ考えたのだろう——。

技術は取り入れて、値札は置いていく

やり方は、いつからでも身につけられます。今日からでも。

値札のほうは、もともと自分のものではありませんでした。誰かが勝手に貼ったものです。剥がすというより、置いていく、という感覚に近いかもしれません。

そして、置いていったあとに残るのは、たぶんこういう問いです。

自分は、何を面白いと感じるのだろう。何を、知りたいと思っているのだろう。

その答えは、偏差値ランキングのどこにも載っていません。


この記事の背景にある本

順位の付け方は、ひとつではありません。何を見て決めるかは、読む人が選びます。

※専門学校の資料は、書店より学校や高校を通したほうが手に入ります。


▶ このシリーズの2本目:「アホです」と言った高須克弥院長と、「能力を表すとは思えません」と言った九州大学・岡﨑晴輝教授 ― 18歳のあの一点に、何が乗っていたか

▶ このシリーズの3本目:「ノーベル賞級」と評価された九州大学・安達千波矢教授と、「福島大には触らせたくない」と言われた福島大学 ― 偏差値は、何を測っていたのか

みらいを紡ぐ、物語。
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